宮関新田(読み)みやぜきしんでん

日本歴史地名大系 「宮関新田」の解説

宮関新田
みやぜきしんでん

[現在地名]長岡市宮関町・宮関一―四丁目・鉄工てつこう町一―二丁目・水道すいどう町三―五丁目・下柳しもやなぎ一丁目・同三丁目・荻野おぎの一丁目・藤沢ふじさわ一丁目・江陽こうよう一―二丁目・つつみ

下柳村の西、西は蓮潟はすがた村。寺島てらじま村の枝郷。戦国時代に三島さんとう西越にしこし地方(現出雲崎町)より移住の人々が開発したと伝え、もとは現在地より南方にあったが、元和(一六一五―二四)以来数度の水害を受け、ことに享保(一七一六―三六)出水によって現在地に移転。当時、信濃川の支流が蓮潟村の東方勝保かつぼより宮関の西部を流れて槙山まきやま村の渡里場わたりば本流に合していたといわれ、宮関新田から藤沢新田に至る五ヵ村を島五ヵ村と称していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む