家中村
いえなかむら
[現在地名]都賀町家中
升塚村の北、思川右岸に立地するが、同左岸の一部も含まれる。広域の村で、西部を南北に例幣使街道が通り、西は原宿村。中央部の小松原に円墳があった。地名は小山氏の支族細井光明が光明寺城周囲に家臣団を住まわせ、それを家中とよんだことに由来するという。応永二七年(一四二〇)閏正月一一日の関東公方足利持氏感状写(喜連川文書)に「家中合戦」とあり、同合戦での佐野帯刀左衛門尉の戦功を賞している。享徳元年(一四五二)と推定される閏八月一二日の小山持政書状(白川文書)によれば「家中郷大和田村細井中務丞知行分」を白川入道に与えている。天文五年(一五三六)とみられる一一月二七日の小山高朝伊勢役銭算用状写(佐八文書)に「三貫文 いへ中」とあり、小山氏の勢力下にあったことが知られる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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