家調村(読み)かちようむら

日本歴史地名大系 「家調村」の解説

家調村
かちようむら

[現在地名]稲垣村繁田(しげた)

岩木川の西側堤防に沿って南北に発達し、北は繁田村、南は野末(のすえ)村。

平沢家由緒書(津軽平野開拓史)によれば、正徳三年(一七一三)に本増(もとます)村が家調村より分村したといい、この時すでに家調村が成立していたことになる。享保一二年(一七二七)には広須組に属し、川通三二ヵ村の一つで村位は下と定められた(平山日記)。元文二年(一七三七)の検地帳によれば、田畑屋敷合せて一三町九反六畝一四歩、村高六九・七四一石であった。うち田方は一〇町八反八畝二三歩で六五・四一九石、上田から下々田まで設定され、下々田が七町四反九畝一六歩、三七・四七六石とあり、畑方は下々畑のみで屋敷地を含めて三町七畝二一歩、四・三二二石とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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