繁田村(読み)しげたむら

日本歴史地名大系 「繁田村」の解説

繁田村
しげたむら

[現在地名]稲垣村繁田

岩木川の西岸近くに発達し、対岸神原かんばら(現北津軽郡金木町)へは神原渡が通じる。北は明治初年に下繁田しもしげた村に合併した船越ふなこし村、南は家調かちよう村。

正徳三年(一七一三)頃に開村したといわれ(稲垣村史)、享保一二年(一七二七)には広須組に属し、川通三二ヵ村の一つで村位は下と定められた(平山日記)。元文二年(一七三七)検地帳によれば、田畑屋敷合せて一五町七畝二九歩、村高三五・三一一石であった。


繁田村
しげたむら

[現在地名]西区平野町繁田ひらのちようしげた春日台かすがだい一―二丁目・美賀多台みかただい二―八丁目

明石川中流の左岸に位置し、南は大畑おおはた村。古くは「上村(天保郷帳)・「中村」(元禄郷帳)と称した。天正一二年(一五八四)七月一四日の羽柴秀吉判物(記録御用所本古文書)などによると、淡路知行地の替地として中村の高一八七石余を含む明石郡押部おしべ谷のうち七二〇石が船越景直に与えられている。慶長国絵図にも「中村」とみえる。正保郷帳には「押部ノ中村」とあり、田方三一二石余・畑方五四石余、旱損所、「はへ山」あり。元禄郷帳に「古ハ中村」と注記して「上村」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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