宿野原伍佰町
すくのはらごひやくちよう
大安寺伽藍縁起并流記資財帳(奈良市正暦寺蔵)に、天武天皇二年に奈良大安寺に勅施入された「墾田地玖佰参拾弐町」のうち
<資料は省略されています>
の名がみえる。この五〇〇町という面積は「伊勢国陸佰陸拾弐町」の八割以上であり、同年寄進された墾田地全体の五割以上を占めた。そのため、当時すでに開発されていたのはわずかに三〇町であった。右の四至の地名を比定すると、「東鴨社」は現丹生川上の式内鴨神社である。「南坂河」は源太川、「北丹生河」は青川に比定でき、「西山」は正法寺山ないしさらに西の山のことと考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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