三井(読み)ミツイ

デジタル大辞泉 「三井」の意味・読み・例文・類語

みつい〔みつゐ〕【三井】

姓氏の一。
[補説]「三井」姓の人物
三井親和みついしんな
三井高利みついたかとし

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精選版 日本国語大辞典 「三井」の意味・読み・例文・類語

みいみゐ【三井】

  1. 福岡県の南西部の郡名。筑後平野北部、筑後川の中流域にある。明治二九年(一八九六)に御井(みい)・御原(みはら)山本の三郡が合併して成立

みついみつゐ【三井】

  1. 姓氏の一つ

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日本歴史地名大系 「三井」の解説

三井
みい

[現在地名]斑鳩町大字三井

法輪ほうりん寺には、もと聖徳太子創掘と伝える三基の井戸があったが、今はそのうち一基が境外北西に遺存している。国史跡。井戸は深さ約四・二メートル、口径約〇・九メートルで、中脹型の円形井筒である。側壁底部から約四分の一は乱石積、その上方は扇状のを積上げている。

「玉林抄」に「聖徳太子、此処掘三井給、山背大兄王子・由義王子・三島王女御誕生之時、汲産湯給、東井ひがしい前栽せんざい赤染あかぞめ三井、写此地給」と記し、法輪寺伽藍図には三重塔の西南から西北にかけて三基の井戸のあったことを示している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「三井」の解説

みい【三井】


奈良県生駒(いこま)郡斑鳩(いかるが)町三井にある古井戸。聖徳太子が開削したと伝えられ、法輪寺の旧境内に属している。法輪寺は井戸や湧水に因んで「御井寺」「三井寺」とも呼ばれ、飛鳥時代の天武期には存在していた。井戸は室町時代と江戸時代の文献などから3基あったとされるが、1944年(昭和19)に国の史跡に指定された三井も明治初年に埋め立てられ、1932年(昭和7年)に掘り出されるまでは埋没したままであった。井戸の深さは約4.2m、上端の直径97cm、中膨れの円形で、井戸の底は中央をさらに20cmほど深く掘り4個の石を組んで桝にし、底面から1.15m分は石組みで、その上3m分は磚(せん)積みという特異な構造をとっている。磚は扇形形状で長さ25cm、井戸の内壁表面での幅23cm、裏面の幅29cm、厚み7.6cmと報告され、この磚を多用した例は知られていない。近畿日本鉄道橿原線筒井駅から奈良交通バス「幸前」下車、徒歩約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「三井」の解説

三井
みつい

江戸時代の商業・高利貸資本家。近代の四大財閥の一つ
江戸初期,三井高俊が伊勢(三重県)松坂で酒造業・質屋として基礎を築き,その子高利の代の17世紀末江戸へ進出。両替商として御用両替,呉服商として「現銀掛値なし」による新商法で発展した。明治時代以後は,藩閥政府と結び政商として成長し,商業・金融から産業へと重心を移し,一大コンツェルンを築いたが,第二次世界大戦後,財閥解体により解体・分割された。1952年ごろから,三井銀行(現さくら銀行)を中心に系列企業の再結集が進められ,三井グループを形成している。

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百科事典マイペディア 「三井」の意味・わかりやすい解説

三井【みつい】

三井財閥

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