密興寺跡(読み)みつこうじあと

日本歴史地名大系 「密興寺跡」の解説

密興寺跡
みつこうじあと

[現在地名]河内町下田原

宝幢山密興寺薬師如来縁起(斉藤貞寿文書)によると開基草創を永承年中(一〇四六―五三)とするが、また康平六年(一〇六三)宇都宮城築城に際し、藤原宗円が鎮護国家祈願の道場および城の鬼門固めとして建立したとも伝える。宝幢山慈光院密興寺と称し、全盛期の二〇〇余年は境内一〇〇間四方、約一万坪に及び中央部に金堂威容を見せ、経堂・増坊・鐘楼堂が堂塔甍を連ねていたという(前掲縁起)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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