日本歴史地名大系 「富厚里村」の解説 富厚里村ふこうりむら 静岡県:静岡市旧安倍郡地区富厚里村[現在地名]静岡市富厚里・小布杉(こぶすぎ)藁科(わらしな)川中流の右岸沿いに位置し、南は小瀬戸(こぜと)村。もとは服織(はとり)の一部で、近世に入って富厚里と称するようになったという(駿河志料)。寛永九年(一六三二)幕府領、宝永四年(一七〇七)旗本米津領となり幕末に至る(国立史料館本元禄郷帳・「寛政重修諸家譜」など)。元禄郷帳では高八一石余。旧高旧領取調帳では米津領一〇五石余。「駿河記」では家数五〇。駿府城築城の際、石材を切出したという(修訂駿河国新風土記)。藁科川は七―一〇年の間隔で出水し、享保一五年(一七三〇)に大満水、延享四年(一七四七)には出水で田畑が大損した(「済口証文」杉山家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by