日本歴史地名大系 「富山町一丁目」の解説 富山町一丁目とみやまちよういつちようめ 東京都:千代田区旧神田区地区富山町一丁目[現在地名]千代田区神田富山町(かんだとみやまちよう)神田岸(かんだきし)町の北に位置する町屋で、同町と同永井(ながい)町の北を走る道筋に面した片側町。西は富山町二丁目、北は武家地。江戸時代前期以来の武家地で、沿革図書によると延宝年間(一六七三―八一)は美濃郡上藩遠藤備前守、宝永年間(一七〇四―一一)は土屋薩摩守が拝領。正徳三年(一七一三)に芝富山(しばとみやま)町(現港区)の一部が増上寺の火除地となり、当地に代地が与えられた(安永三年小間附町鑑)。正徳年間の絵図によると、当町から西側の区画にかけての一帯は、西方から芝片(しばかた)門前・同七軒(しちけん)町・同永井町・同富山町(現港区)の各代地になっており、文化五年(一八〇八)の絵図では西側は三島(みしま)町に変わり、片門前町・七軒町の代地はみえない(沿革図書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by