富崎城跡(読み)とみさきじようあと

日本歴史地名大系 「富崎城跡」の解説

富崎城跡
とみさきじようあと

[現在地名]婦中町富崎

山田やまだ川が平野部へさしかかる地点の右岸山上に築かれる。標高九二・五メートルで、北側は山田川に面した崖で守られる。東麓の富崎集落からの比高約六〇メートルで、緩やかな傾斜面をたどって城に到達する。別名滝山たきやま城または福山ふくやま城ともいう。城周辺にたちうちしろうち地名が残る。その位置や構造・規模などから、古くから神保氏の主要な支城であったと考えられる。「三州志」は、嘉吉元年(一四四一)神保八郎左衛門が居城し、永禄年間(一五五八―七〇)神保長職が在城していたとき上杉輝虎(謙信)と戦って敗れ、蓮花寺れんげじ村の深沼で戦死したと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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