富崎村(読み)とみさきむら

日本歴史地名大系 「富崎村」の解説

富崎村
とみさきむら

[現在地名]婦中町富崎

井田いだ川の支流である山田やまだ川が呉羽山くれはやま丘陵に分け入る地点に位置。東は川原町かわらまち村、西は山田川を挟んで蓮花寺れんげじ村。富崎城のある山が婦負郡の平野部に突出したところから刀身先とみさきの古名があったが、天福年間(一二三三―三四)に富崎と改称した旨が村中にある鍋屋神(鍛冶職の守護神)の祠中に記してある(婦負郡志)。元亀四年(一五七三)四月五日の河田長親書下(秋田藩採集古文書)によれば、河田氏は富崎村の買地知行を牛丸備前守に安堵している。

富崎村
とみざきむら

[現在地名]岡山市富崎

久保くぼ村の西、いたち山麓の村で、南西流するすな川の東岸にあたる。慶長一〇年(一六〇五)備前国高物成帳(備陽記)金岡かなおか庄に村名があり、寛永備前国絵図では高三五九石余。正保郷帳には枝村に幸原こうのはら村が載り、「備前記」によると山寄りにある集落で、枝村として神原こうのはらをあげる。「備陽記」では田畠二三町二反余、家数五二・人数二五二、池一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報