朝日日本歴史人物事典 「富村勘右衛門」の解説
富村勘右衛門(4代)
生年:生年不詳
江戸中期の陶磁器商人。初代源兵衛が,島津氏の一向宗弾圧を契機に鹿児島城下より肥前国伊万里(佐賀県)に逃れた。その後,同国有田大樽町に本拠を構えインド貿易を展開。同家は代々有田皿山の有力商人であり,庄屋なども務めた。4代勘右衛門は,有田焼の海外輸出を計画。そのため手代嬉野次郎左衛門が,平戸の今津屋長右衛門らとインドへの密輸出を共謀し巨利を博した。だが,次郎左衛門らが長崎奉行に逮捕されたことを知り,自ら切腹したとされる。しかし,次郎左衛門らの逮捕は,朝鮮への人参密売買が原因であり,有田焼密貿易と勘右衛門切腹の関連には再考を要する。
(岩崎義則)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報