佐賀県南部の市。2006年1月旧嬉野町と塩田(しおた)町が合体して成立した。人口2万8984(2010)。
嬉野市南西部の旧町。旧藤津郡所属。1955年吉田村と合体。人口1万8917(2005)。有明海に注ぐ塩田川上流の盆地に,嬉野温泉(重曹泉,92℃)の温泉街が発達する。温泉の歴史は古く,すでに8世紀の《肥前国風土記》に登場する。江戸時代に嬉野宿は,長崎街道で大村藩領から佐賀藩領に入る最初の宿場であったが,ここを通過したケンペルやシーボルトも当地の温泉について記している。盆地周辺の丘陵斜面には茶園が広がるが,この嬉野茶の歴史も古い。不動山皿屋谷の大茶樹は,国の天然記念物で,17世紀の茶祖吉村新兵衛の時代に播種(はしゆ)されたものといわれる。また窯元が集まる吉田皿屋などの窯業も,すでに17世紀には登場しており,今日有田窯業地の一角をなす。長崎自動車道のインターチェンジがある。吉田永寿寺の木造不動明王・二童子像は国の重要文化財。町内各地には踊浮立(おどりぶりゆう)が伝承され,とくに吉田両岩(もろいわ)神社などの両岩の小浮立は,県の重要無形文化財に指定されている。ドーム型全天候温泉プールのあるユーリープラッツ,歴史型テーマパーク肥前夢街道など観光開発も進む。
執筆者:川崎 茂
嬉野市北東部の旧町。旧藤津郡所属。人口1万1475(2005)。中央部を蛇行する塩田川下流一帯は肥沃な沖積低地で,中心市街の塩田は古くから武雄や鹿島に通ずる交通の要地であった。古代には塩田駅が置かれ,近世は長崎街道の宿場町,塩田川水運の河港として栄えた。天草産の陶石を移入して製造される良質の陶土は町内で塩田焼として使用されるほか,有田などの焼物産地に送られる。主産業は米作を中心とする農業で,ミカン栽培も盛ん。西岡家住宅は切妻造,T字形の独特の民家で,重要文化財に指定されている。肥前小富士と呼ばれる唐泉山にはシイの原生林がある。
執筆者:松橋 公治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
佐賀県南西部にある市。2006年(平成18)、藤津(ふじつ)郡塩田町(しおたちょう)、嬉野町が合併、市制施行して成立。西部の長崎県境の山間地に源を発した塩田川が市の北部を東流し、南部から北上する吉田川を合流して有明海に注いでいる。塩田川上流の盆地にある嬉野温泉は歴史が古く、8世紀の『肥前国風土記(ひぜんのくにふどき)』に記録がみえる。江戸時代、嬉野宿を通過したケンペルやシーボルトも嬉野温泉についての記録を残している。塩田町地区も長崎街道の塩田宿として、また塩田川河港として栄えた。古い町並みが残り、塩田津地区は重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
長崎自動車道が北西部を通過、嬉野インターチェンジが設置され、その近くには総合運動公園「みゆき公園」もつくられている。また国道34号が北西部を、498号が北東部を走る。嬉野温泉には、JR西九州新幹線の嬉野温泉駅、西九州新幹線およびJR佐世保(させぼ)線の武雄(たけお)温泉駅、JR大村(おおむら)線の彼杵(そのぎ)駅などからバスが通じる。平地では水田、丘陵地や盆地では果樹園や茶畑が広がる。とくに茶は良質なことで知られ、嬉野茶として人気がある。不動(ふどう)山皿屋(さらや)谷にある大チャノキは樹齢300年以上とされ、国指定天然記念物。焼物も重要な産業で、吉田皿屋には窯元(かまもと)が集まる。塩田町には「志田焼の里博物館」がつくられている。永寿寺(えいじゅじ)の不動明王および二童子像、豪商の邸宅であった西岡家住宅は国指定重要文化財、杉光陶器店は国指定登録有形文化財。八天(はってん)神社参道の石造眼鏡橋は県指定重要文化財、唐泉(とうせん)山のシイの天然林は県指定天然記念物、両岩の小浮立(もろいわのこぶりゅう)は県指定重要無形民俗文化財。面積126.41平方キロメートル、人口2万5848(2020)。
[編集部]
三重県中部、一志郡(いちしぐん)にあった旧町名(嬉野町(ちょう))。現在は松阪市の北東部を占める地域で、雲出(くもず)川の支流中村川流域に位置する。旧嬉野町は、1955年(昭和30)中郷(なかさと)、豊地(とよち)、中川、豊田、中原の5村が合併、町制を施行して成立。町名は、倭姫命(やまとひめのみこと)が伊勢(いせ)へ向かう途次、ここで賊を平定し「宇礼志野」と名づけた故事にちなむ。2005年(平成17)三雲(みくも)、飯南(いいなん)、飯高(いいたか)の3町とともに松阪市に合併した。旧町域北部の中川地区は伊勢平野に属し水田が開けるが、ほかは狭い谷底に集落が点在する農山村。JR名松線(めいしょうせん)が通じ、近鉄伊勢中川駅は近畿日本鉄道の大阪線、名古屋線、山田線が合する要地となっている。1996年には伊勢自動車道が開通、一志嬉野インターチェンジが設置されている。米作を中心に、野菜、シイタケ、肉牛(松阪牛)、酪農など多角的農業が営まれ、三重県農業研究所や県農業大学校もある。近年住宅、工場、ゴルフ場の進出も著しい。『古事記』記載の豪族壱師君(いちしのきみ)の本拠地で、一族の墳墓といわれる一志古墳群があり、なかでも筒野古墳は大規模な前方後方墳で三角縁神獣鏡などを出土した。薬師寺の木造薬師如来(にょらい)立像は国指定重要文化財。辻垣内瓦窯(つじがいとがよう)跡群から日本最大級の鴟尾(しび)が発掘されている。
[伊藤達雄]
『『嬉野町史』(1981・嬉野町)』
佐賀県南西部、藤津(ふじつ)郡にあった旧町名(嬉野町(まち))。現在は嬉野市嬉野町地区で、市の西半分を占める地域。温泉と茶と焼物の町として知られる。1929年(昭和4)西嬉野村が町制施行して嬉野町と改称。1933年東嬉野村、1955年(昭和30)吉田村と合併。2006年(平成18)塩田町と合併して市制施行、嬉野市となった。鎌倉時代の文書には、嬉野を「宇礼志野」と記す。有明(ありあけ)海に注ぐ塩田(しおた)川上流の盆地に嬉野温泉の温泉街が発達する。JR佐世保(させぼ)線の武雄(たけお)温泉駅、有田駅などからバスが通じ、長崎自動車道嬉野インターチェンジがある。霧深い盆地周辺の丘陵斜面などには嬉野茶の茶園が広がる。不動(ふどう)山皿屋(さらや)谷にある樹齢300年余の大チャノキは国指定天然記念物。吉田皿屋には十軒内外の窯元(かまもと)が集まり、有田窯業地の一角をなす。永寿寺(えいじゅじ)の不動明王、二童子像は国指定重要文化財、神事芸能の両岩の小浮立(もろいわのこぶりゅう)は県指定重要無形民俗文化財である。
[川崎 茂]
『『嬉野町史』上下(1979・嬉野町)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…人口2万0504(1995)。有明海に注ぐ塩田川上流の盆地に,嬉野温泉(重曹泉,92℃)の温泉街が発達する。温泉の歴史は古く,すでに8世紀の《肥前国風土記》に登場する。…
※「嬉野」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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