富永恭次(読み)トミナガ キョウジ

20世紀日本人名事典 「富永恭次」の解説

富永 恭次
トミナガ キョウジ

大正・昭和期の陸軍中将



生年
明治25(1892)年1月2日

没年
昭和35(1960)年1月14日

出身地
長崎県

学歴〔年〕
陸士〔大正2年〕卒,陸大〔大正12年〕卒

経歴
歩兵第23連隊付、参謀本部付を経て、大正14年関東軍司令部付で満州里駐在。昭和2年参謀本部員、3年ソ連大使館付武官補佐官、5年参謀本部に戻り、軍内革新グループ「一夕会」に参加。12年関東軍参謀、14年参謀本部第4部長、第1部長となる。日中戦争拡大派で、15年北部仏印進駐強硬論を唱え、海軍対立。16年人事局長、中将。太平洋戦争開戦後、東条英機首相の陸軍次官。19年第4航空軍司令官となり特攻作戦を計画したが、米軍フィリピン上陸を前に自分だけ逃げ出して批判され20年5月予備役に。同7月召集され、満州の第139師団長で敗戦シベリア抑留となり、30年4月帰国

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「富永恭次」の解説

富永恭次 とみなが-きょうじ

1892-1960 大正-昭和時代前期の軍人
明治25年1月2日生まれ。昭和15年参謀本部第一部長としてフランス領インドシナ進駐主導。16年陸軍中将。18年東条首相のもとで陸軍次官兼人事局長,19年第四航空軍司令官。第百三十九師団長で敗戦,30年シベリア抑留から帰国。昭和35年1月14日死去。68歳。長崎県出身。陸軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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