太平洋戦争が終わる間近だった1945年8月9日に旧満州(中国東北部)へ侵攻した旧ソ連は、旧満州や樺太、千島列島で拘束した日本兵や民間人をシベリアやモンゴルなどの強制労働収容所へ送り、鉄道や道路建設、森林伐採、農作業、工場作業などの強制労働を課した。厚生労働省によると、抑留者約57万5千人のうち約5万5千人が飢えや寒さなどで死亡したとされる。抑留期間が10年以上の人もいた。
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第2次大戦終結時にソ連軍に降伏・逮捕された日本軍人その他がシベリアで強制労働に従事させられたこと。その大部分は関東軍軍人で,これに樺太・千島,北朝鮮で武装解除された部隊が加わり,その数は日本政府推定で57万5000余人とされる。軍人以外では満州国官吏,国策会社,植民地統治機構,協和会,新聞社などの幹部役職員など約1万2200人が含まれる。ポツダム宣言第9項は日本軍隊の郷里への帰還を約束したが,ソ連は上記人員をシベリア(47万2000人),外蒙古(1万3000人),中央アジア(6万5000人),ヨーロッパ・ロシア(2万5000人)と約1200ヵ所の捕虜収容所・監獄に収容,土木建築,鉄道建設,採炭・採鉱,生産工業に従事させた。第2シベリア鉄道建設事業に日本人5万人が投入されたのは有名である。収容所の多くは酷寒の地にあり,栄養・衛生状態が劣悪なうえ高度な労働規準(ノルマ)が課されたため多くの死者・病者を出した。収容所内での私的制裁や〈民主運動〉もひろがり,〈暁に祈る〉〈吊し上げ〉などが行われた。短期抑留者の帰国は1946年12月に始まり,53万人弱が送還された50年4月,ソ連は引揚げ完了を声明した。アメリカ,イギリス,オーストラリアは冷戦の一環として残留者の調査と送還を迫り,8月,国連に捕虜特別委員会が設けられた。56年12月,日ソ共同宣言成立とともに有罪判決を受けたすべての日本人が釈放され,同月長期抑留者2689人が帰国した。若干名はソ連に帰化したとされる。抑留者名簿が不十分で行方不明者も多い。91年4月,ソ連大統領ゴルバチョフ来日の際,約3万6000人の死亡者名簿が引き渡された。
執筆者:佐々木 隆爾
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第2次大戦の敗戦により満州・北朝鮮・樺太・千島列島の日本軍人・満蒙開拓団農民・満州国関係職員などがソ連に抑留されて各地で強制労働に従事したこと。ソ連軍による武装解除後,シベリアを中心とする各地の収容所に送られ,鉄道建設,炭鉱,道路工事,農作業などの労働をさせられた。待遇は苛酷なもので,抑留者約57万~70万人のうち約1割が死亡したと推定される。抑留者は1946年11月に成立した「引揚げに関する米ソ暫定協定」に従って,12月にナホトカから引揚げを開始,50年4月末までにほぼ帰国を完了した。2009年までに旧ソ連から引き渡された抑留中死亡者名簿登載者は約5万5000人。
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