富海保(読み)とのみほ

日本歴史地名大系 「富海保」の解説

富海保
とのみほ

富海一帯をその領域とした中世国衙領

正治二年(一二〇〇)一一月日の周防国在庁官人置文(東大寺文書)に「富海一丁六段」とみえ、建久八年(一一九七)重源によって牟礼令むれりよう内に置かれた別所(のちの阿弥陀寺)の寺用料田があったことが知られる。正治二年一一月日の周防阿弥陀寺田畠坪付(周防阿弥陀寺文書)によれば、その田地保内の中海里・岡本里・相田里・富海里・里外里・馬下里に散在していたことがわかる。当保は国衙を通じて知行国主である東大寺の支配下にあったが、保内には国内の寺社や在庁官人などの給免田も散在した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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