富長城跡(読み)とみながじようあと

日本歴史地名大系 「富長城跡」の解説

富長城跡
とみながじようあと

[現在地名]名和町富長

富長の西端、東上松ひがしうえまつの富永神社境内およびその付近に位置する。富長館跡とも称される。元弘三年(一三三三)名和長年家臣の荒松兵庫に命じて、出雲と伯耆を結ぶ街道上で海路からの上陸候補地の一つと目された当地に柵を造らせ、隠岐守護佐々木清高軍を防いだのを創始とする説がある(汗入史綱)。戦国時代は福頼氏の居城であったといわれ、延享三年(一七四六)の汗入郡御通筋村々厘付帳(門脇家文書)の富長村の項に、古城として、城主福頼左衛門尉とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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