寛政の蜂起和人殉難墓碑(読み)かんせいのほうきわじんじゆんなんぼひ

日本歴史地名大系 「寛政の蜂起和人殉難墓碑」の解説

寛政の蜂起和人殉難墓碑
かんせいのほうきわじんじゆんなんぼひ

[現在地名]根室市納沙布

納沙布岬の北方館の前にある。市指定文化財。明治四五年(一九一二)に珸瑶瑁(ごようまい)の砂浜で発見された。正面に「横死七十一人之墓」、右面に「文化九年歳在壬申四月建之」とあり、裏面に一七八九年(寛政元年)のクナシリ・メナシの戦のいきさつなどが刻まれている。クナシリ島とメナシのアイヌが、和人の場所請負の番人らの横暴に耐えかねて蜂起し、クナシリ島やシベツ(標津)付近にいた番人ら七一人を襲撃。知らせを受けた松前藩は討伐隊を根室半島ノッカマップに派遣、首謀者三七人を処刑した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 国後島 標津

[名](スル)1 別の衣服に着替えること。特に夏冬の季節に応じて改めること。平安時代には、陰暦4月1日、10月1日に行われた。江戸幕府では、このほかに5月5日・9月9日などにも着替える定めがあった。現...

衣替えの用語解説を読む