朝日日本歴史人物事典 「寺田法念」の解説
寺田法念
鎌倉後期の御家人,悪党としても知られる。俗名範家。播磨国矢野荘(相生市)例名(矢野荘は例名と別名からなる)の重藤名を本拠地とし,矢野荘例名公文職につく一方で,文治年間(1185~90)以来,一族が御家人役を勤めてきたとする。その出自については,矢野荘の前身久富保 を開発した秦為辰の子孫ともいわれるが,上野国出身との説もあり,明らかでない。矢野荘例名地頭職を持つ海老名氏と勢力を競い,例名を下地中分(分割支配)に導いた。例名が東寺に寄進された翌年の正和3(1314)年に,南禅寺領矢野荘別名に討ち入ったほか,元応1(1319)年にも東寺の使節や寺家方百姓と激しく衝突した。その後,矢野荘における地盤を失ったが,子孫は重藤名の回復を求めて,再三侵入を繰り返した。
(馬田綾子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報