日本歴史地名大系 「寺門村」の解説 寺門村てらかどむら 千葉県:鴨川市寺門村[現在地名]鴨川市寺門松尾寺(まつおじ)村の北西、加茂(かも)川の上流域に位置し、長狭(ながさ)道が通る。慶長二年(一五九七)の安房国検地高目録に村名がみえ、高七一石余(うち田方三七石余)、里見氏給人領。同一五年の里見家分限帳では御隠居様領。元和五年(一六一九)佐貫藩内藤氏領となるが、同八年に転封となり、別家の旗本内藤氏の支配に替わる(寛政重修諸家譜)。正保郷帳では高七一石余、うち田方三七石余・畑方三四石余、内藤領。 寺門村てらかどむら 大阪府:和泉市寺門村[現在地名]和泉市寺門町・弥生(やよい)町一丁目・和気(わけ)町今福(いまふく)村の南東、松尾(まつお)川と槙尾(まきお)川の中間に位置する。村内の田圃の字名に二の坪・六の坪・八の坪・二十七の坪などがあり(大阪府全志)、条里制地割の遺称と考えられる。現和歌山県橋本市東家(とうげ)の観音寺に、もと同じ東家の陀羅尼(だらに)寺にあった大般若経六〇〇巻(首巻・尾巻欠)が蔵されるが、その巻五七の奥書に「大治六年二月廿七日 書写 中原家俊 和泉国寺門村大般若経也」とみえる。その後弘安六年(一二八三)四月には願主観音寺兵衛入道蓮性が修補しており、巻三など計二一巻にその旨と「和泉国寺門村大般若経也」の文言が記されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by