日本歴史地名大系 「寺館尻引村」の解説
寺館尻引村
てらだてしりひきむら
南に
元和八年(一六二二)最上家が除封される際、仙北郡内の由利郡境に近い
久保田領郡邑記に「村老ノイフ、此地モ百三段ノ御引替地トス、然レトモ矢島領モ入コミナリ、故ニ郡モ又定メカタシ、家居モ又一戸ハ御国、一戸ハ亀田、一戸ハ矢島ト百姓入交リ、垣ノクネヲ境トス、是カタメニ村モ穏カナラス、地モ又シカリ、田二枚ハ亀田、田畑三枚ハ矢島、田五枚ハ御国ト入コミ、何レノ境トイフヲ分ケカタシト云ヘリ、混雑ノ土地ナリ」とある。
寛保三年(一七四三)の仙北郡寺館尻引村矢嶋領寺館村と新畑出入留書(秋田県庁蔵)によれば、慶長九年(一六〇四)検地が行われ、高は二四二石余で、家数二一軒、うち寺一軒、百姓二〇軒とある。さらに「御検地帳付之内、高百八石、元和八年矢嶋領江御代地ニ被遣候」とあるから、秋田領は一三四石余であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報