尊寿院跡(読み)そんじゆいんあと

日本歴史地名大系 「尊寿院跡」の解説

尊寿院跡
そんじゆいんあと

[現在地名]中区三の丸一丁目

東照とうしよう宮の神宮寺。天台宗天長山尊寿院、権現坊と称する。元和五年(一六一九)徳川義直南光坊天海を請じて名古屋城三の丸に東照宮を創建し、父家康の霊を祀り、珍祐を別当とした。寛永四年(一六二七)天海は別当所を天長山神宮寺と号した。珍祐は比叡山東塔南谷日増院と春日井郡野田密蔵のたみつぞう(現春日井市)をも兼帯し、さらに西に隣接する代々将軍の御霊屋の西仏殿(上野寛永寺方)をも兼帯した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む