小侍村
こざむらいむら
[現在地名]多久市北多久町小侍
現多久市の北西部。東は多久原村、南は長尾村・高木河内村と接する。北から西へ松浦郡の広瀬・中島・牧瀬村(現東松浦郡厳木町)と接し、周囲のほとんどは山岳を境とし、南部でわずかに耕地に接している。山は東北隅に矢岳、南に米満山、北に琴平岳、西に船山がほかの大小の山々と連なり、いずれも深い森林地帯で薪材が豊富であった。唐津往還は多久原宿(現北多久町多久原)から当村の山犬原・前田・小侍宿・番所を経て笹原峠に至る。山犬原川は山犬原山を発して砂原の北を通過、郷篠川(現高木川内川)と合流して中通川となる。
応安五年(一三七二)の竜造寺熊竜丸軍忠状(竜造寺家文書)に、今川仲秋が肥前松浦に上陸、肥前武士団と杵島郡塚崎(現武雄市)の城に進駐した経路が記されているが、相知(現東松浦郡相知町)の次に「侍・女山」とあり、この「侍」は小侍である。「小」は欠落したのか、当時「侍」が通称であったのか確証すべきものがない。慶長絵図にも「上多久」のうちに「小侍」がある。「水江事略」には永禄五年(一五六二)の項に「長信褒
之、即チ与フ
東原村ヲ於式部ニ
也、土橋・小侍・東原部ヘテ 廿余町式部本氏瓦田後改土橋之所
也賜領スル 也」とあって、多久城(梶峰城)入城に際し、竜造寺長信が地士土橋式部に戦功を賞して与えた土地の中に「小侍」がみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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