小値賀村
おぢかむら
江戸時代の村名。古代以来の値賀島などの島名を継承する村名であるが、近世には一一ヵ村を総称する称でもあり、それに含まれる村は時代により、あるいは史料により異なる。江戸時代は平戸藩領で、押役所・代官所が置かれ、小値賀島とその周辺の島々のみならず、中通島の北端の津和崎(現新魚目町)や同島西部の浜ノ浦(現上五島町)をも管轄した。慶長九年(一六〇四)の平戸領惣目録に「小値賀」とみえ、高一千六一三石余。慶長国絵図では値賀とする。正保四年(一六四七)の小値賀郡代書付(五島堺目旧記)では小値賀本島として高三千四八石余とあり、家数三一八。明暦二年(一六五六)の田方帳抜書では小値賀内に前方免・野崎免・六島免・笛吹免・中村免・藪之木免・黒島免・大島免・柳免・浜津免・斑島免・納島免、畑方帳抜書にはほかに大浦免・唐見崎免・殿崎免・牧尾免・長崎免・深町免・柳田免が記される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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