日本歴史地名大系 「小値賀島」の解説
小値賀島
おぢかしま
五島列島の北部にある島。南は五島の
古代よりみえる
小値賀島
おちかのしま
- 長崎県:南松浦郡
- 小値賀島
中世の島名。古代からみえる知訶島・小近・値賀島などを継承し、広域通称名の
建久七年(一一九六)七月一二日の前右大将家政所下文案に「宇野御厨内小値賀島」とみえ、当島住人の尋覚が地頭職に補任されている。奈良東大寺の阿闍梨であった尋覚(玄城房)は隠遁後に母方の縁で五島に来住、母の兄清原是包から当島と浦部島を譲られたという(青方氏家譜)。島の本領主は清原氏であったが、平安末期に是包が高麗船の荷を移し取るという海賊行為をしたため、仁平二年(一一五二)八月領家から勘当を受けて所領を没収され、是包の姪(清原三子)の三人の子息清(御厨氏の祖)・披(峰氏・平戸松浦氏の祖)・囲(山代氏の祖)に知行権が移り、三子の夫で御厨執行の源四郎直が実質的に知行していた。直はのち三子を離別、平戸にいた宋の船頭の後家を後妻に迎え、寿永三年(一一八四)二月小値賀島を後妻の連れ子の松浦十郎連(値賀氏の祖)に譲った。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報