小値賀島(読み)おぢかしま

日本歴史地名大系 「小値賀島」の解説

小値賀島
おぢかしま

五島列島の北部にある島。南は五島の中通なかどおり島、北は宇久うく島で、東方に平戸島がある。面積一二・九八七平方キロ、周囲三三・六キロ。北にのう島、西にあか島、南西におお島、南にくろ島、東に野崎のざき島・島などの島々がある。小値賀島には北東部の本城ほんじよう(一一一・三メートル)のほかばん岳・愛宕あたご岳などがある。五島列島では宇久島とともに遺跡数が多く確認され、まだら(班島とも)では旧石器時代のナイフ形石器などが発見された玉石鼻たまいしはな遺跡がある。縄文時代前期では野崎島野首のくび遺跡があり、曾畑式土器が出土している。黒島のかみさき遺跡では岬の全域にわたって弥生時代から古墳時代にかけての埋葬遺構がみられ、副葬品は朝鮮半島南部産と思われる板状鉄斧や、五世紀末から六世紀前半頃の須恵器が出ている。五島では弥生時代後期以降の遺跡が著しく減り、高塚式古墳も現在まで確認されていないが、小値賀島はこの傾向と異なり、島の北東部に七世紀のものとされる神方かみがた古墳、南部の笛吹ふえふき郷にみずしも古墳がある。水ノ下古墳では天井石などに用いられたと推定される巨石が露出しており、七世紀前半の造営とされる。中央部の入江に臨む野首遺跡では六世紀代前半を最古とする須恵器や、歴史時代の大陸系青白磁や滑石製石鍋、日本産の瓦器類がみられる。また環頭太刀(当時は国宝指定)が町域にあったことは(第二次世界大戦後に米軍が接収)神島こうじま神社に朝鮮半島の古代焼の古器類が所蔵されていること、前方まえがた郷では一一世紀後半から一六世紀にわたる中国大陸などからもたらされた陶磁器が出土していることなどと合せ、海を越えた交流があったことをよく物語るものであろう。

古代よりみえる値賀ちか島のうちで、史料上は大近おおちか小近おちか大値賀おおちか島、遠値賀とおちか島などさまざまに表れ、その対象・範囲は時代により異なった。近世初頭までこうした称は継承されていたが、やがて現在の小値賀島のみが遺称地となった。古くは二つの島であったが、建武元年(一三三四)松浦源定の干拓工事により田地が開かれて結ばれたとされ、このとき定は笛吹浄善じようぜん寺に御供米を施入している(「前方村郷土誌」など)


小値賀島
おちかのしま

中世の島名。古代からみえる知訶島・小近・値賀島などを継承し、広域通称名の浦部うらべ島を含むより広域の総称であったと想定される。のちにより限定された一帯の呼称となった。浦部島は現在の中通なかどおり(新魚目町・上五島町・有川町・奈良尾町)若松わかまつ(若松町)にあたる範囲で、小値賀おぢか島を含めれば、五島列島のほぼ北半部を占めていたことになる。宇野うの御厨のうちの地名としてみえ、「おちかのしま」と読む(建久七年七月一二日「前右大将家政所下文案」・同日「前右大将家政所下文案断簡」青方文書など、以下断りのない限り同文書)

建久七年(一一九六)七月一二日の前右大将家政所下文案に「宇野御厨内小値賀島」とみえ、当島住人の尋覚が地頭職に補任されている。奈良東大寺阿闍梨であった尋覚(玄城房)は隠遁後に母方の縁で五島に来住、母の兄清原是包から当島と浦部島を譲られたという(青方氏家譜)。島の本領主は清原氏であったが、平安末期に是包が高麗船の荷を移し取るという海賊行為をしたため、仁平二年(一一五二)八月領家から勘当を受けて所領を没収され、是包の姪(清原三子)の三人の子息清(御厨氏の祖)・披(峰氏・平戸松浦氏の祖)・囲(山代氏の祖)に知行権が移り、三子の夫で御厨執行の源四郎直が実質的に知行していた。直はのち三子を離別、平戸にいた宋の船頭の後家を後妻に迎え、寿永三年(一一八四)二月小値賀島を後妻の連れ子の松浦十郎連(値賀氏の祖)に譲った。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「小値賀島」の意味・わかりやすい解説

小値賀島
おぢかじま

長崎県五島列島(ごとうれっとう)の北方にある島。北松浦(きたまつうら)郡小値賀町に属する。面積12.26平方キロメートル。海面すれすれに広がる玄武岩の溶岩原を基底に、本城(ほんじょう)岳(111メートル)、番(ばん)岳(105メートル)、愛宕(あたご)岳(85メートル)など大小約20座の臼状(きゅうじょう)火山、火山砕屑丘(さいせつきゅう)が裾野(すその)を接して噴出、これらが数珠(じゅず)状につながって一島を形成している。火山礫(れき)中には火山弾や火山涙(るい)が多くみられ、海岸にはダキとよばれる円形陥没状の海食地形がみられる。周辺の古路(ころ)島、大島などの属島も単独の火山砕屑丘ないし数個の砕屑丘が結合してできた島である。人口2017(2020)。

[石井泰義]

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改訂新版 世界大百科事典 「小値賀島」の意味・わかりやすい解説

小値賀島 (おぢかじま)

長崎県五島列島の北部にある島。面積約13km2。近世には平戸松浦藩の所領であった。周辺に散在する16の属島と合わせて北松浦郡小値賀町(人口2849。2010)をなす。本城岳,愛宕山,番岳など高さ100m前後の小さな臼状火山の集合体で,全域に広く火山弾が散在している。島はかつて中村~牛渡間の狭い水道によって東西2島に分かれていたが,近世に埋め立てられた。海岸には海食崖が発達し,属島の斑(まだら)島の甌穴(おうけつ)は,天然記念物に指定されている。産業は野菜栽培,養蚕,肉用牛飼養などの農業とブリ,タイ,アワビなどの漁業が中心である。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小値賀島」の意味・わかりやすい解説

小値賀島
おぢかじま

長崎県西部,五島列島の北方にある小値賀町の主島。中心集落は笛吹。江戸時代は五島藩でなく,平戸藩の所領地。現在も行政的に五島列島には含まれず,北松浦地域の平戸諸島に属する。低平な玄武岩の台地には数個の臼状をした山がみられる。農業と漁業が主産業で,畑作畜産が中心,漁業では一本釣りと刺網漁が行われている。南東端殿崎に小値賀空港がある。天然記念物の玉石甌穴がある斑島 (まだらじま) などとともに西海国立公園に属する。面積 12.97km2。人口 3149 (2000) 。

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デジタル大辞泉プラス 「小値賀島」の解説

小値賀島

長崎県北松浦郡小値賀町(おぢかちょう)、五島列島の北にある平戸諸島の島。佐世保から西へ約50キロメートル、宇久島の南西、野崎島の西に位置する。面積約12.22平方キロメートル。位置的には五島列島に連なっているが、平戸藩松浦家が小値賀の出身であったことなどから、五島藩ではなく平戸藩の所領として明治を迎えた。島全体が西海国立公園に指定されている。江戸時代には近海捕鯨の基地。近年では農業・漁業のほか、ユネスコ世界遺産に指定された野崎島へのツアー拠点として観光客を集める。

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世界大百科事典(旧版)内の小値賀島の言及

【五島列島】より

…列島の胴体部は地塁山地で,その後の沈水により多くの瀬戸や湾入を生じ,美しいリアス海岸をみせる。地塁山地の東側には福江島の鬼岳(おんだけ)火山(315m)や富江溶岩台地が,西側には宇久島小値賀島などの火山島や,京ノ岳火山(福江島北西端,183m)が形成されている。列島は日本の西端にあり,中国大陸に近く,かつて遣唐使の寄港地や倭寇(わこう)の根拠地となり,その遺跡は多い。…

※「小値賀島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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