野崎島(読み)のざきじま

日本歴史地名大系 「野崎島」の解説

野崎島
のざきじま

[現在地名]小値賀町野崎郷のざきごう

小値賀島の東に位置する南北に長い島。北部に二半岳があり、南に津和崎つわさき瀬戸を挟んで中通なかどおり島がみえる。文永八年(一二七一)一一月二五日の将軍家政所下文案(青方文書)に「肥前国平戸・河内・野崎・南黒島・小値賀島」とみえ、峰持が建長六年(一二五四)孫の源湛(峰湛)に譲った当地などの地頭職が承認されている。観音堂の近くのダントウ山には南北朝期から室町期の宝篋印塔などの石塔群がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「野崎島」の意味・わかりやすい解説

野崎島
のざきじま

長崎五島列島(ごとうれっとう)の北端部にある島。北松浦(きたまつうら)郡小値賀町(おぢかちょう)に属する。面積7.11平方キロメートル。島の最高峰は平岳(350メートル)で、全島急斜面からなり、野生シカが生息する。山頂近くに沖ノ神嶋神社(おきのこうじまじんじゃ)があり、近隣島民の信仰を集め、祭礼には八丁櫓(ろ)で競って野崎参りが行われた。江戸時代キリシタンによって忍苦開墾が行われ、3集落があったが、1971年(昭和46)までに野首(のくび)・船森(ふなもり)は集団移住し、野首に旧野首教会がある。野崎も過疎化が著しく、無人島化しつつある。西海国立公園に含まれる。人口1(2020)。

[石井泰義]

〔世界遺産の登録〕野崎島の集落跡は、2018年(平成30)、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産として、世界遺産(文化遺産)に登録された。

[編集部 2018年9月19日]


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デジタル大辞泉プラス 「野崎島」の解説

野崎島

長崎県北松浦郡小値賀町(おぢかちょう)、五島列島の北にある平戸諸島の島。面積約7.1平方キロメートル。小値賀島の東端から約2キロメートル東方に位置する。江戸時代中期に定住が始まり、禁教令後は隠れキリシタンも移り住んだ。高度成長期の集団離島により一時期は完全に無人化したが、鉄川与助の設計によるレンガ造りの「旧野首教会」(県指定有形文化財)が残り、見学のため来島する人が多い。廃校になった学校校舎を利用した自然学習村でのキャンプも可能。2018年、野崎・舟森の集落跡地が「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の一部としてユネスコの世界遺産に登録された。

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