朝日日本歴史人物事典 「小出光教」の解説
小出光教
生年:文政3(1820)
幕末の算学者,暦学者。小出兼政の養子。阿波国名東郡(徳島市)の郡方手代数藤円平の4男で瓦師北野多郎兵衛の養嗣子となり,北野由岐左衛門と称し,兼政の門人となったが藩命で阿波(徳島)藩士の小出家を継いだ。養父に学び土御門家に入門。のち江戸に出て内田五観につき,かたわら蘭学を学んだ。藩の砲術家より砲術を学び,櫓奉行となって砲台の築造,大砲の鋳造御用などを勤め,一方では暦の推歩,略暦編纂を行った。幕府崩壊後一時明治政府に仕えたが,のち辞して郷里に帰り,洋算の教授を行い,明治7(1874)年讃岐師範学校1等助教授になり高松で没した。<著作>『弘化元暦』『算法円理四霊表』
(内田正男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報