小出光教(読み)こいで・みつのり

朝日日本歴史人物事典 「小出光教」の解説

小出光教

没年:明治9.10.18(1876)
生年:文政3(1820)
幕末の算学者,暦学者。小出兼政養子阿波国名東郡(徳島市)の郡方手代数藤円平の4男で瓦師北野多郎兵衛の養嗣子となり,北野由岐左衛門と称し,兼政の門人となったが藩命で阿波(徳島)藩士の小出家を継いだ。養父に学び土御門家に入門。のち江戸に出て内田五観につき,かたわら蘭学を学んだ。藩の砲術家より砲術を学び,櫓奉行となって砲台築造,大砲の鋳造御用などを勤め,一方では暦の推歩,略暦編纂を行った。幕府崩壊後一時明治政府に仕えたが,のち辞して郷里に帰り,洋算の教授を行い,明治7(1874)年讃岐師範学校1等助教授になり高松で没した。<著作>『弘化元暦』『算法円理四霊表』

(内田正男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小出光教」の解説

小出光教 こいで-みつのり

1820-1876 江戸後期-明治時代の暦算家。
文政3年11月生まれ。小出兼政の養子。阿波(あわ)(徳島県)の人。京都で土御門(つちみかど)家,江戸で内田五観(いつみ)にまなび,砲術や航海術にも通じた。慶応2年徳島藩の小姓格,櫓奉行となる。維新後は香川県の師範学校でおしえた。明治9年10月18日死去。57歳。本姓は数藤。通称は由岐太,由岐左衛門。著作に「算法円理四霊表並解」,訳書に「蘭垤(ランデ)略暦」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android