小原東分村(読み)こばらひがしぶんむら

日本歴史地名大系 「小原東分村」の解説

小原東分村
こばらひがしぶんむら

[現在地名]山梨市小原東

七日市場なのかいちば村の南にあり、笛吹川扇状地の中央に位置し、青梅おうめ往還秩父ちちぶ往還が村内を通る。道の左右には渠が流れていた。小原村東分ともいう。西は小原西分村。当村は六斎市が立つことにより八日市場ようかいちば原八日市場はらようかいちばあるいは小原八日市場と通称された。天正一〇年(一五八二)一二月一〇日の徳川家印判状写(「士籍編入願に添付せる古文書一覧」若尾資料)に「小原」とみえ、古屋仁兵衛は当地内の五〇貫文と棟別銭一間分の免除を本給として安堵されている。同一二年一一月七日、森本永派は当郷の宮内右衛門分のうち田地一貫文を霊供免として明白庵に寄進している(「森本永派寄進状」向嶽寺文書)。同一四年一〇月吉日永派の子昌澄は老父入牌料として当郷内で一〇〇疋(一貫文)の地を塩山開山堂に寄進し、毎日の霊供茶湯を依託している(「森本昌澄証文写」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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