小原西分村(読み)こばらにしぶんむら

日本歴史地名大系 「小原西分村」の解説

小原西分村
こばらにしぶんむら

[現在地名]山梨市小原西

小原東分村の西にあり、笛吹川扇状地の中央に立地する。青梅おうめ往還秩父ちちぷ往還が村内を通る。一時宮本みやもと村とも称し(甲斐国志)、小原村西分ともいった。中世は小原郷に含まれ、近世前期も小原東分村と合せて小原村一村であった。慶長古高帳でも小原村一村で高付され、幕府領。ほかに大明神(現大井俣神社)領一石余があった。領主の変遷は小原東分村に同じ。享保九年(一七二四)に東・西に分村した(「甲斐国志」など)。宝永七年(一七一〇)検地では当村の高三八一石余(延享四年「村明細帳」日下部町誌)、宝暦六年(一七五六)版の三郡村高帳でも同高で、うち新検出高役引五八石余・新田役引四斗余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

乞巧奠〈公事十二ケ月絵巻〉〘 名詞 〙 陰暦七月七日の行事。乞巧は技工、芸能の上達を願う祭。もと中国の行事であるが、日本でも奈良時代以来、宮中の節会(せちえ)としてとり入れられ、在来の棚機津女(たなば...

乞巧奠の用語解説を読む