小原鉄心(読み)おはら・てっしん

朝日日本歴史人物事典 「小原鉄心」の解説

小原鉄心

没年:明治5.4.15(1872.5.21)
生年:文化14.11.3(1817.12.10)
幕末大垣藩(岐阜県)藩士。忠行の長子。名は忠寛。天保13(1842)年家督を相続,藩政改革を担当。文久3(1863)年上洛,翌元治1(1864)年7月の禁門の変に当たって福原越後の率いる長州藩兵を伏見追撃。明治1(1868)年1月3日新政府の参与に任命された。時に大垣藩は旧幕府軍に参加していて,子の兵部は先鋒として淀にある。かかる状況下,大垣に帰り藩論を新政府帰順に統一。新政府に登用され参与,御親征行幸御用掛,会計官判事,同2年大垣藩大参事。病を重くして官を辞し没した。

(井上勲)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小原鉄心」の解説

小原鉄心 おはら-てっしん

1817-1872 幕末-明治時代の武士
文化14年11月3日生まれ。美濃(みの)(岐阜県)大垣藩士。斎藤拙堂にまなぶ。天保(てんぽう)13年城代となり,以後3代の藩主につかえる。戊辰(ぼしん)戦争では,一時幕府軍にしたがった藩を新政府に帰順させた。明治5年4月15日死去。56歳。名は忠寛。字(あざな)は栗卿。通称は二兵衛。別号に是水,酔逸。著作に「改革十則」「錬卒訓語」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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