ダンディ

精選版 日本国語大辞典 「ダンディ」の意味・読み・例文・類語

ダンディ

  1. ( Vincent d'Indy バンサン━ ) フランス作曲家、音楽教育家。マスネー、フランクなどに師事。一時ワーグナーに傾倒。のち国民音楽に転じ、自国の民謡を使ったピアノ管弦楽のための作品「フランスの山人の歌による交響曲」を書いた。著「作曲法綱要」四巻。(一八五一‐一九三一

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百科事典マイペディア 「ダンディ」の意味・わかりやすい解説

ダンディ

フランスの作曲家,音楽教育家。パリで南フランス出身の貴族の家系に生まれる。普仏戦争従軍後,友人デュパルクの紹介で1872年からC.フランクに作曲とオルガンを師事。終生フランクを師と仰いだ。また1876年以来バイロイトをたびたび訪ねて《ニーベルングの指環》《パルジファル》の初演に立ち会い,R.ワーグナーへの傾倒を深める。1887年,代表作の一つ《フランス山人の歌による交響曲》を発表。祖先の地ビバレ地方で1844年に開始された民謡採集,ワーグナーに啓発された熱烈なフランス国民主義,フランクに学んだ循環形式など,その芸術観のさまざまな要素を反映した作品となった。1894年,宗教音楽の復興を旗印に作曲家C.ボルド〔1863-1909〕らとパリにスコラ・カントルムを設立,2年後に開校された音楽学校の教授に就任し,D.deセブラック〔1872-1921〕,ルーセルオーリックらを教えた。2つの交響曲(1870年−1872年,1902年−1903年),交響的変奏曲《イスタール》(1896年),《山の夏の日》(1905年)などの管弦楽曲オペラ室内楽曲,ピアノ曲,宗教的声楽曲,歌曲など各ジャンルに作品を残している。→オネゲル近衛秀麿ショーソン
→関連項目アルベニスシャブリエバレーズポーター

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ダンディ」の意味・わかりやすい解説

ダンディ
だんでぃ
Paul Marie Théodore Vincent d'Indy
(1851―1931)

フランスの作曲家、教育家。南仏ビバレの貴族出身。幼くして両親を失って祖母に託され、音楽の手ほどきも受けた。1865年にラビニャックのもとで和声学を学び始め、ベルリオーズに傾倒して音楽家を志す。71年、フランス音楽復興のために創設された「国民音楽協会」の会員となり、パリ音楽院のフランクの下でオルガンを学んだ(1872~74)。76年、ワーグナーの『ニーベルングの指環(ゆびわ)』の初演を聴いてフランス独自の音楽の確立決意。90年には国民音楽協会の会長となる一方、96年には宗教音楽復興のための「スコラ・カントルム」を創設するなど、近代フランス音楽黄金期の行動力ある推進役を務めた。作品はあらゆるジャンルにわたって多数あるが、セベンヌ地方の民謡を主題にした『フランスの山人(やまびと)の歌による交響曲』(1886)が有名。主著に『作曲法講義』全四巻(1903~50刊)がある。

[船山信子]

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改訂新版 世界大百科事典 「ダンディ」の意味・わかりやすい解説

ダンディ
Vincent d'Indy
生没年:1851-1931

フランスの作曲家,音楽教育家。パリ音楽院でC.フランクに作曲とオルガンを学ぶ。国民音楽協会(1871設立)の主軸として,またスコラ・カントルム(1894宗教音楽団体として発足,96年音楽学校開設)の創設者として,第1次大戦前のフランス音楽界の中心的存在であった。ワーグナーに傾倒し,フランクの交響曲理念の信奉者であり,反ドビュッシー派の首領とも目された。代表作に民謡を素材とした《フランス山人の歌による交響曲》(1886)がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダンディ」の意味・わかりやすい解説

ダンディ
D'Indy, (Paul-Marie-Théodore) Vincent

[生]1851.3.27. パリ
[没]1931.12.2. パリ
フランスの作曲家,指揮者,教育家。 A.ラビニャック,C.フランクらに師事。作曲家として 1887年に有名な『フランス山人の歌による交響曲』を発表。 94年友人とともに,宗教音楽の演奏団体としての「スコラ・カントールム」を創設。これはのちに音楽学校となり,彼も校長,作曲教授となった。その講義録は,『作曲法綱要』 Cours de Composition musicale (4巻,1897~1907) として出版された。 1905年アメリカへ演奏旅行してフランス音楽の紹介に努めた。熱烈なワグネリアンであったが,晩年には『山の夏の日』 (1905) ,『聖クリストフの物語』 (15) などフランスの伝統的作風に戻った。

ダンディ
dandy

ハイカラ,しゃれ男,伊達者などの意。その定義づけは困難であるが,当世風で新奇さや創造性をもつと同時に,個性的な秩序ある独自の服飾様式をそなえた男性ということができよう。この言葉は 19世紀初頭のイギリスのしゃれ男 G.ブランメルを契機に定着した。

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「ダンディ」の解説

ダンディ

フランスの作曲家。南仏ヴィヴァレー地方出身の貴族の家庭に、パリで生まれた。自身の出生の際に母親を亡くしている。4歳の時には父親も亡くしたため、祖母に育てられた。音楽の手ほどきを受けたのも祖母からであ ...続き

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世界大百科事典(旧版)内のダンディの言及

【ダンディズム】より

…一般に,男性の〈一分の隙もない身だしなみ〉〈伊達(だて)好み〉の気風や美意識を意味する語。ダンディズムの実践者はダンディdandyという。英語起源の言葉で,18世紀の終りころ新造語として登場,19世紀初頭から中葉にかけて広く普及し,ヨーロッパ諸国語においても用いられるに至った。…

【フランス音楽】より

…彼は自ら交響曲,協奏曲を書くとともに,声楽家R.ビュシーヌと語らって1871年〈国民音楽協会〉を設立,〈アルス・ガリカArs gallica(フランスの芸術)〉を旗印に掲げて多くの同志を集め,現存のフランス人作曲家による室内音楽と管弦楽曲の紹介に努めた。 国民音楽協会の主導権をサン・サーンスに代わってやがて握ったのが,フランクとその弟子たち(デュパルク,ショーソン,とりわけダンディ)である。フランクはJ.S.バッハと晩年のベートーベンから教訓を引き出した。…

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