ダンディ(読み)だんでぃ(英語表記)Paul Marie Théodore Vincent d'Indy

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ダンディ」の意味・わかりやすい解説

ダンディ
だんでぃ
Paul Marie Théodore Vincent d'Indy
(1851―1931)

フランスの作曲家、教育家。南仏ビバレの貴族出身。幼くして両親を失って祖母に託され、音楽の手ほどきも受けた。1865年にラビニャックのもとで和声学を学び始め、ベルリオーズに傾倒して音楽家を志す。71年、フランス音楽復興のために創設された「国民音楽協会」の会員となり、パリ音楽院のフランクの下でオルガンを学んだ(1872~74)。76年、ワーグナーの『ニーベルングの指環(ゆびわ)』の初演を聴いてフランス独自の音楽の確立決意。90年には国民音楽協会の会長となる一方、96年には宗教音楽復興のための「スコラ・カントルム」を創設するなど、近代フランス音楽黄金期の行動力ある推進役を務めた。作品はあらゆるジャンルにわたって多数あるが、セベンヌ地方の民謡主題にした『フランスの山人(やまびと)の歌による交響曲』(1886)が有名。主著に『作曲法講義』全四巻(1903~50刊)がある。

[船山信子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダンディ」の意味・わかりやすい解説

ダンディ
D'Indy, (Paul-Marie-Théodore) Vincent

[生]1851.3.27. パリ
[没]1931.12.2. パリ
フランスの作曲家,指揮者,教育家。 A.ラビニャック,C.フランクらに師事。作曲家として 1887年に有名な『フランス山人の歌による交響曲』を発表。 94年友人とともに,宗教音楽の演奏団体としての「スコラ・カントールム」を創設。これはのちに音楽学校となり,彼も校長,作曲教授となった。その講義録は,『作曲法綱要』 Cours de Composition musicale (4巻,1897~1907) として出版された。 1905年アメリカへ演奏旅行してフランス音楽の紹介に努めた。熱烈なワグネリアンであったが,晩年には『山の夏の日』 (1905) ,『聖クリストフの物語』 (15) などフランスの伝統的作風に戻った。

ダンディ
dandy

ハイカラ,しゃれ男,伊達者などの意。その定義づけは困難であるが,当世風で新奇さや創造性をもつと同時に,個性的な秩序ある独自の服飾様式をそなえた男性ということができよう。この言葉は 19世紀初頭のイギリスのしゃれ男 G.ブランメル契機に定着した。

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