小右衛門村
こえもんむら
広島村の東に位置し、北東を権現堂川が流れる。川沿いに堤防(島中囲堤)があり、その堤上の通りは日光道中で、一里塚が築かれていた(「日光道中絵図」内閣文庫蔵、分間延絵図)。小字に日光社参のとき馬の口を洗ったという御馬口洗場、栗橋に近い所に栗橋川辺などがある。村名は開墾者の栗橋宿梅沢小右衛門の名にちなむというが、「郡村誌」は開墾者として代々名主を務めた秋庭家の祖大膳亮をあげており、この村名を号したのは寛永八年(一六三一)の検地以来としている。田園簿に村名がみえ、田高一九一石余・畑高二五七石余で、幕府領。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 