栗橋町(読み)くりはしまち

日本歴史地名大系 「栗橋町」の解説

栗橋町
くりはしまち

面積:一五・七八平方キロ

県北東部、北葛飾郡の北端に位置し、北は利根川を隔てて茨城県古河市、北から西にかけては北埼玉郡大利根おおとね町・加須かぞ市、南は中川を挟んで鷲宮わしみや町・幸手さつて市、東は権現堂ごんげんどう川を境に茨城県猿島さしま五霞ごか村と接する。埼玉沖積低地の北部に位置し、全体に標高一〇メートル台の平地(西部の伊坂・高柳両地区がやや高く、東部の小右衛門・中里・狐塚・新井の各地区は低い)、河道跡・自然堤防・砂丘・後背湿地などの微地形や池沼がみられる。これは中世以前には利根川・渡良瀬わたらせ川が乱流していたためである。自然堤防は伊坂いさかから高柳たかやなぎ地区まで、河原代かわはらだい地区から狐塚きつねづか地区までなどに発達しており、前者はかつての利根川主流によると考えられ、伊坂・高柳には砂丘が発達している。「風土記稿」や「郡村誌」により多くの池沼があったことが知られ、後背湿地や旧河川にできたもののほか、洪水によりできたと伝えられる池も多く、宝永ほうえい池・宝治戸ほうじと池・十王じゆうおう池などがある。


栗橋町
くりはしまち

[現在地名]栗橋町栗橋・きた一―二丁目

現栗橋町域の北部、利根川右岸に位置し、西は伊坂いさか村、東は利根川を隔てて下総国中田なかだ宿(現茨城県古河市)。利根川沿いに堤防があり、用水天水を利用したが(風土記稿)旱魃の時は大池の水を用いた(郡村誌)。当町は慶長年間(一五九六―一六一五)下総国栗橋村(現茨城県五霞村元栗橋)の池田鴨之助・並木五郎平(五良平とも)伊奈忠次の指揮により開墾し、新栗橋と称したという(風土記稿)。この時に農民五四戸が移ったと伝える(郡村誌)。「資勝卿記」寛永九年(一六三二)四月二三日条に「坂東太郎の川の西、新規に町出来申し候故、新くり橋と云ふ也」と記す。正保国絵図では上河辺かみかわべ新田(カミコウベとも)と記し、別に新栗橋町の名を記している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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