日本歴史地名大系 「小向野村」の解説 小向野村こむくのむら 大分県:宇佐市旧宇佐町地区小向野村[現在地名]宇佐市小向野宇佐村の南西にあり、豊前道(佐田往還)に沿う。当村境の宇佐村地内には宇佐宮行幸会八ヵ社の一、小山田(おやまだ)神社があり、当地は行幸会道の帰路にもあたった。西は法鏡寺(ほうきようじ)村、南は矢部(やべ)村。中世には向野(むくの)郷の内。元弘三年(一三三三)と思われる大神宇貞申状(小山田文書)によると、宇佐宮御装束所検校兼修理所別当の大神宇貞は、相伝知行地である向野郷「修理田」一町などの安堵外題を求めているが、同所は地内の字修理田(しゆりだ)にあたるか。文明五年(一四七三)三月日の益永通輔所領注文案(益永文書)にも「向野郷小山社修理田壱町」がみえる。また康永四年(一三四五)六月日の小山田社免石丸名坪付注進状(小山田文書)には小山田社司大神敦貞知行分として、向野郷内の「西御田」「カウノキ田」「ハイノホリ」「カイワラ田」などの坪名がみえ、それぞれ現在の字西御田(にしおんだ)・香(こう)ノ木田(きだ)・這登(へいのぼり)・貝割(かいわれ)にあたると思われる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by