小山田氏(読み)おやまだうじ

改訂新版 世界大百科事典 「小山田氏」の意味・わかりやすい解説

小山田氏 (おやまだうじ)

武蔵国多摩郡小山田荘本領とする中世武家。桓武平氏秩父氏の流れをくみ,有重が小山田荘の荘官となって小山田別当と称したのに始まる。有重は1180年(治承4)の源頼朝挙兵時には在京していたため平家に従い,木曾義仲追討軍にも加わったが,平家西国落ちの際に許されて東下し,息子の稲毛重成,榛谷重朝らにはおくれて鎌倉御家人となった。一族は武蔵国南西部に蟠踞(ばんきよ)したが,頼朝死後,武蔵国を支配下におこうとする北条氏によって,1205年(元久2)まず同族の畠山氏が討たれ,続いて稲毛重成,榛谷重朝も謀殺されて,一族の勢力は極度に衰退した。《太平記》に新田義貞忠臣としてみえる小山田高家や,戦国時代甲斐武田氏の臣で甲斐国都留郡に拠点をおいた小山田氏は後裔であるという。南北朝~室町時代に小山田荘内に依拠した小山田氏は,関東管領上杉氏の庶流で,支配のために下向した一族が小山田を称したものである。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の小山田氏の言及

【甲斐国】より

…応仁の乱前後からは,守護代や国人層の下剋上に苦しみ,また惣領をめぐって守護家一族間の骨肉の争いも激化し,そのうえ国外からは伊豆,相模を平らげた北条早雲の侵略を受けるなど,領国統一までにはなお苦難の時代が続いた。一方,都留郡には鎌倉時代に坂東平氏秩父氏の出である小山田氏が移り住み,この地方を支配した。中世の甲斐は文化の面でも鎌倉と関係が深く,著名な禅僧が入国したり,日蓮が身延山を開いたりした。…

※「小山田氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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