朝日日本歴史人物事典 「小塚秀得」の解説
小塚秀得
生年:天明5(1785)
江戸後期,加賀国(石川県)大聖寺藩士。藩の殖産政策に尽くし地誌『江沼志稿』を独力で完成させた篤学。通称藤十郎。山本新五左衛門の3男に生まれ,小塚藤蔵の養子となる。禄130石。殖産の一環として樹木栽培奨励を献策し,文政7(1824)年植物方奉行に任命され,引き続き松奉行,用水奉行,産物方引請などの職に就き,土質調査,植樹督励に従事,林業の育成に尽力した。天保初年藩主前田利之の命によって『江沼志稿』編纂に従事。その後藩主の交代などにより中断したが弘化1(1844)年,秀得は独力でこれを仕上げた。<参考文献>『大聖寺藩史』『加能郷土辞彙』
(木越隆三)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報