大聖寺(読み)だいしょうじ

百科事典マイペディアの解説

大聖寺【だいしょうじ】

加賀国江沼郡,現石川県加賀市の錦城(きんじょう)山東麓一帯をさす中世以来の地名で,近世には大聖寺藩の城下町。地名は白山宮加賀馬場に属した寺名に由来。南北朝期,錦城山大聖寺城が築かれ,以後,加賀一向一揆が平定されるまでこの城をめぐって攻防が繰り返された。1583年丹羽長秀の与力として溝口秀勝が大聖寺に配され,1639年には金沢藩主3代前田利常の三男利治が7万石を分知されて大聖寺藩を興(おこ)した。利治は錦城山の東麓に藩邸を造営,その東に城下町が形成された。町人町は城下中央を南西から北東へ抜ける北陸街道沿いに発達,その中心である本(ほん)町には旅宿が多く,旅籠(はたご)町とも呼ばれた。町人町は2人の町奉行の支配下にあり,町年寄は藩によって有力町人のなかから選ばれた。九谷(くたに)焼を再興した吉田屋は福田町の有力町人。特産は絹織物で,明治維新後は武家屋敷跡を利用して多くの機織工場ができ,近隣農村部の養蚕・製糸業の発達と相まって発展したが,第2次大戦中の機業整備で転業を余儀なくされ,戦後も低迷を続けた。現在は九谷焼や観光産業に活路を見いだしている。1958年大聖寺町などの5町と4村が合併して加賀市が成立。

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世界大百科事典 第2版の解説

だいしょうじ【大聖寺】

加賀国(石川県)江沼郡の城下町。地名は白山五院の一つ,大聖寺があったことによるという。1600年(慶長5)8月,徳川家康の命で加賀藩2代藩主前田利長は,西軍に属する大聖寺城を攻撃して城主山口宗永を自刃させ,関ヶ原の戦の前哨戦として百万石大名の地位を確保した。城は15年(元和1)廃されたが,39年(寛永16)3代藩主前田利常は大聖寺藩7万石を分藩し,三男利治を藩主とした。大聖寺町は城下町といいながら城郭はなく,藩主は陣屋(藩邸,御館と呼称)に住んだ。

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大辞林 第三版の解説

だいしょうじ【大聖寺】

石川県加賀市の中心市街。白山五院の一つ大聖寺の建立とともに興り、近世は前田氏支藩一〇万石の城下町。絹織物の町として有名。

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日本の地名がわかる事典の解説

〔石川県〕大聖寺(だいしょうじ)


石川県加賀(かが)市の中心地区。伝統産業の絹織物・九谷焼(くたにやき)が有名。中世は白山(はくさん)五院の一つである大聖寺の門前町。江戸時代には加賀藩支藩の大聖寺藩10万石の城下町として発展。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大聖寺
だいしょうじ

石川県南西端、加賀市の中心地区。旧大聖寺町。白山(はくさん)五院の一寺に由来し、江戸時代は加賀藩の支藩大聖寺藩10万石の城下町として発達し、明治以降は江沼(えぬま)郡役所が置かれた。県南部の行政、経済、文化の中心。商工業も発達、伝統をもつ絹織物業は有名。中世の大聖寺城跡のある錦城(きんじょう)山、大聖寺川畔の藩主の別邸江沼神社長流亭(ちょうりゅうてい)(国の重要文化財)、式内社菅生石部(すごういそべ)神社などがある。[矢ヶ崎孝雄]

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世界大百科事典内の大聖寺の言及

【織物】より

…特に各種の染技法は目覚ましい進歩をとげ,それにともなって羽二重や綸子,紗綾,縮緬などの白生地の生産が進展した。現在もなお縮緬や羽二重の主要生産地である京都府峰山,滋賀県長浜,石川県大聖寺などが,白生地生産の機業地として活発な活動をし始めたのは江戸中期からである。また各藩は領国経済の充実,発展に力を尽くし,各地に特色ある染織産業の発達をみることとなった。…

※「大聖寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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