日本歴史地名大系 「小屋川村」の解説 小屋川村こやがわむら 大分県:下毛郡山国町小屋川村[現在地名]山国町小屋川山国川上流部南岸にあり、西は大将陣(たいしようじん)山、南は山を越すと伏木(ふしき)村(現日田市)、北は草本(くさもと)村。小倉藩元和人畜改帳に小屋川村はみえないが、屋田川野(やたがわの)村がみえ、蔵納分で高九八石余、家数一三(うち百姓三・名子五・牢人二)・人数三四、牛馬各二とあり、現在も通称に屋田川があるから、小屋川村の一部のみが記載されたと思われる。元禄豊前国高帳では高三一一石余。慶応四年(一八六八)の本新田高三一三石余、反別三〇町余・取二一九石余・無地高四三石余、家数六六・人数二三二(「幕府領下毛郡村々」矢野家文書)。 小屋川村しようやがわむら 大分県:大野郡野津町小屋川村[現在地名]野津町八里合(はちりごう) 小屋川田平(たのひら)村の南東、臼杵(うすき)川南西岸にある。慶長二年(一五九七)の野津院検地帳写(渡辺家文書)には小屋川村が田平村など三ヵ村と一括された一冊が含まれ、村位は上。同一一年の惣御高頭御帳に村名がみえ、高三六石余。香野村組に属した。正保二年(一六四五)の稲葉能登守知行高付帳によれば田方五石余・畑方三一石余、雑木山ありと注記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by