朝日日本歴史人物事典 「稲毛重成」の解説
稲毛重成
生年:生年不詳
鎌倉前期の武将。関東平氏秩父氏の一流で,武蔵国橘樹郡(神奈川県)稲毛荘を名字の地とする在地領主。父は小山田別当有重。妻は北条時政の娘。娘は綾小路師季に嫁ぐ。法名道全。北条時政の縁者として栄え,元久2(1205)年6月には秩父氏本家の畠山重忠を讒言して滅亡させるが,北条時政の失脚により誅殺された。建久6(1195)年,美濃国青墓駅で妻危篤の急報を得た重成が,将軍頼朝から下された名馬「三日黒」のおかげで妻の死に目に間に合い,悲しみのあまり出家したエピソードは著名。だが,この美談も時政の婿の立場による実家への追従と捉えられる。
(海津一朗)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報