稲毛重成(読み)いなげ しげなり

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「稲毛重成」の解説

稲毛重成 いなげ-しげなり

?-1205 平安後期-鎌倉時代の武将
小山田(おやまだ)有重の子。妻は北条時政の娘。幕府御家人。武蔵(むさし)稲毛(神奈川県)を本拠とする。平家追討奥州攻めにくわわり,源頼朝の京都行きに随行した。建久6年(1195)妻の死をいたみ出家。時政とともに畠山重忠謀殺にかかわり,元久2年6月23日斬殺(ざんさつ)された。通称三郎

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の稲毛重成の言及

【稲毛氏】より

…武蔵国橘樹郡稲毛荘を本領とする中世の武家。桓武平氏秩父氏族。小山田有重の三男重成が稲毛荘を領して稲毛三郎と称したのに始まる。重成は挙兵当初から源頼朝に従い,武功をあげて有力御家人となったが,他面たいへんな愛妻家であり,妻の病没に際しては別離の愁いに耐えかねて出家し,追善のためにと莫大な費用を投じて相模川に橋を架けている。しかし妻が北条時政の娘であったために時政とその後妻牧の方の策謀にまきこまれ,1205年(元久2)同族の畠山氏討滅の片棒を担がされたうえ,策謀の中心人物との汚名をきせられて子息小沢重政ともども誅殺されてしまう。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」