小川ミヤコ(読み)オガワ ミヤコ

20世紀日本人名事典 「小川ミヤコ」の解説

小川 ミヤコ
オガワ ミヤコ

昭和期の医師 園田学園女子大学教授



生年
明治36(1903)年9月20日

没年
昭和54(1979)年12月27日

出生地
徳島県板野郡堀江村(現・鳴門市)

学歴〔年〕
東京女子医学専門学校〔昭和2年〕卒

学位〔年〕
医学博士〔昭和13年〕

経歴
卒業後、山形市立病院に勤務。のち大阪帝国大学医学部解剖学研究室に入り、助手として研究に従事。昭和13年「ラッテ子宮上皮ノ細胞学的研究」の論文を発表し、35歳の若さで医学博士となる。24年に同研究室を退職し、大阪で産婦人科の星陽診療所を開くが、その後も引き続き医学研究を行った。38年園田学園女子大学の助教授就任。次いで同教授に昇り、54年に辞職した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小川ミヤコ」の解説

小川ミヤコ おがわ-ミヤコ

1903-1979 昭和時代の医師。
明治36年9月20日生まれ。山形市立病院につとめ,のち大阪帝大医学部解剖学教室研究員,助手となる。昭和24年阪大をしりぞき大阪で産婦人科診療所をひらく。園田学園女子大の教授をつとめた。昭和54年12月27日死去。76歳。徳島県出身。東京女子医専(現東京女子医大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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