日本大百科全書(ニッポニカ) 「小川芋錢」の意味・わかりやすい解説
小川芋錢
おがわうせん
(1868―1938)
日本画家。幼名は太郎、のち茂吉(しげきち)。江戸に生まれる。父は牛久(うしく)藩士であったが、廃藩置県に際し稲敷(いなしき)郡牛久村(現、茨城県牛久市)に帰農。少年時代東京に出て本多錦吉郎(きんきちろう)の彰技堂画塾で洋画を学ぶが、17歳のころ独学で学んだ日本画に転向する。1891年(明治24)『朝野新聞』に芋錢の号で漫画を掲載したのを皮切りに『平民新聞』『読売新聞』などに主として農村風景に題材をとった漫画を執筆。また雑誌『ホトトギス』に挿絵や表紙をかいた。
1915年(大正4)珊瑚会(さんごかい)が結成されるとその同人となり、南画風の作品を発表。1917年には日本美術院同人に推された。1893年以後は牛久に住み、牛久沼の畔(ほとり)の風物に取材した独自の幻想的な南画をかく。とくに河童(かっぱ)を題材としたものが有名。代表作に『水虎(すいこ)とその眷族(けんぞく)』『若葉にむさるる木精(もくせい)』などがある。
[星野 鈴]