小川菊松(読み)オガワ キクマツ

20世紀日本人名事典 「小川菊松」の解説

小川 菊松
オガワ キクマツ

明治〜昭和期の出版人 誠文堂新光社会長



生年
明治21(1888)年3月25日

没年
昭和37(1962)年7月3日

出生地
茨城県茨城町

学歴〔年〕
高等小学校中退

経歴
書店勤めの後、明治45年誠文堂を創業。大正7年加藤美倫著「是れ丈は心得置くべし」(全16巻)を発売、5年間に120万部を売った。続いて関東大震災直後に「大震大火の東京」を刊行、9月1ケ月で2万8000部を売り切った。15年新光社を再建、昭和10年同社を合併して誠文堂新光社を設立社長。20年終戦の放送を聞いて直ちに「日米会話手帳」を編集出版、360万部という戦後最初のベストセラーとなった。筆者は社員の加藤美生、英訳などは当時無名板倉勝正(中央大名誉教授)で終戦から1ケ月後の9月15日に発刊した。21年社長を長男誠一郎に譲り、23年公職追放。25年解除、会長。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小川菊松」の解説

小川菊松 おがわ-きくまつ

1888-1962 明治-昭和時代の出版人。
明治21年3月25日生まれ。45年誠文堂をおこす。昭和10年合併により誠文堂新光社を設立,社長となる。終戦直後,「日米会話手帖」を出版して戦後初のベストセラー(360万部)とする。「子供科学」「愛犬の友」などおおくの雑誌を発行した。昭和37年7月3日死去。74歳。茨城県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「小川菊松」の解説

小川 菊松 (おがわ きくまつ)

生年月日:1888年3月25日
明治時代-昭和時代の出版人。誠文堂新光社を創設
1962年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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