小川顕道(読み)おがわ・けんどう

朝日日本歴史人物事典 「小川顕道」の解説

小川顕道

没年:文化13(1816)
生年:元文2.閏11.1(1737.12.22)
江戸後期の医者。大衆向けに医療の啓蒙書を書いた。江戸の小石川白山御殿跡近くで生まれる。小川笙船の孫という。37歳の安永2(1773)年に『養生嚢』を刊行,医療に対する心得違いなどを諭している。「薬といふものは,皆毒物にして平日嗜むべき物にあらず」など常識的で理にかなった意見が多い。文化6(1809)年に『瘡家示訓』を著した。一時相模国藤沢に居住したらしい。文化11(1814)年随筆集『塵塚談』を著し,当時の風俗を描写している。著書は他に『佐志茂草』『民家養生訓』の医書2点がある。<参考文献>小川顕道「塵塚談」(『燕石十種』1巻)

(蔵方宏昌)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小川顕道」の解説

小川顕道 おがわ-あきみち

1737-1816 江戸時代中期-後期の医師
元文2年閏(うるう)11月1日生まれ。小川笙船(しょうせん)の孫。小川泰山の父。江戸の人。祖父の代からうけついだ小石川養生所肝煎(きもいり)をつとめた。文化13年7月17日死去。80歳。著作に「塵塚談(ちりづかだん)」「佐志茂草」「民家養生訓」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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