ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
[没]宝暦10(1760)
江戸時代中期の医師。享保7 (1722) 年,将軍吉宗の時代に施薬院の建設を上書し,これに基づいて小石川薬園内に養生所がつくられ,笙船がその肝煎 (所長) に命じられた。以後,笙船の子孫が肝煎を世襲した。 (→小石川養生所 )
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(蔵方宏昌)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
…日本における官立病院のはじめといえるもの。町医小川笙船(しようせん)(1672‐1760)の建議を徳川吉宗が採り,1722年(享保7)小石川薬園内に施薬局を設け,低所得の病人,看護する人がいない者などを収容し,これを養生所と称した(長崎にできた養生所と区別するため小石川養生所ともいう)。町奉行が管理し,与力・同心を属せしめ,小川笙船,林良適らの医師が出役し,本道(内科),外科,眼科があった。…
※「小川笙船」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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