小幡庄(読み)おばたのしよう

日本歴史地名大系 「小幡庄」の解説

小幡庄
おばたのしよう

古代の小幡郷(和名抄)に立荘されたと考えられる荘園

荘名の初見は「玉葉」承安五年(一一七五)五月一二日条で「丹波国小幡田新荘」とある。同書によればこの地は女院(皇嘉門院)領であったが、立荘にあたり四至内にあった位田を他所に転じたことが記される。下って「師守記」康永三年(一三四四)正月二七日条には次のような文殿廻状がある。

<資料は省略されています>

これによれば小幡庄内の大佃に関して師覚上人と岡崎僧正との間に紛争があり、院の文殿における裁定にゆだねられているが、結末はわからない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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