小栗上野介(読み)オグリコウズケノスケ

デジタル大辞泉 「小栗上野介」の意味・読み・例文・類語

おぐり‐こうずけのすけ〔をぐりかうづけのすけ〕【小栗上野介】

[1827~1868]江戸末期の幕臣。江戸の人。名は忠順ただまさ外国奉行軍艦奉行勘定奉行などを歴任フランスの援助下に将軍権力を強化しようと企てたが、鳥羽伏見の戦いに敗れた後、官軍に斬首された。

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百科事典マイペディア 「小栗上野介」の意味・わかりやすい解説

小栗上野介【おぐりこうずけのすけ】

小栗忠順

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小栗上野介」の意味・わかりやすい解説

小栗上野介
おぐりこうずけのすけ

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世界大百科事典(旧版)内の小栗上野介の言及

【小栗忠順】より

…江戸末期の幕臣。上野介と称す。1859年(安政6)目付となり,60年(万延1)日米修好通商条約批准交換の使節として,正使新見正興,副使村垣範正とともに渡米した。帰国後,外国奉行となる。61年(文久1)ロシア軍艦ポサドニック号が対馬に滞泊する事件が起きた際,忠順は対馬に赴き退去を要求したが,目的を達することができずに江戸へ帰った。以後,小姓組番頭,勘定奉行,町奉行,歩兵奉行,軍艦奉行,陸軍奉行並,海軍奉行並などの諸役を歴任。…

※「小栗上野介」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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