軍艦奉行(読み)グンカンブギョウ

デジタル大辞泉 「軍艦奉行」の意味・読み・例文・類語

ぐんかん‐ぶぎょう〔‐ブギヤウ〕【軍艦奉行】

江戸幕府職名軍艦建造、操艦術、教練などをつかさどった。安政6年(1859)設置

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精選版 日本国語大辞典 「軍艦奉行」の意味・読み・例文・類語

ぐんかん‐ぶぎょう‥ブギャウ【軍艦奉行】

  1. 〘 名詞 〙 江戸幕府の職名。安政六年(一八五九)二月設置。はじめ若年寄支配、高二千石、のち老中支配、高三千石。軍艦の操練艦船製造などをつかさどるとともに、海軍分隊を指揮した。
    1. [初出の実例]「右英国軍艦え、外国奉行、御軍艦奉行、御目付支配向之もの共為乗組」(出典:徳川禁令考‐前集・第六・巻五三・文久元年(1861)七月三日)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「軍艦奉行」の意味・わかりやすい解説

軍艦奉行
ぐんかんぶぎょう

幕末期、江戸幕府の軍制改革で設置された職名。幕府海軍強化のため1859年(安政6)2月設置。軍艦の購入・建造・操練技術などをつかさどり、62年(文久2)の軍制改革案では、陸軍奉行に次ぐ第7位に置かれている。初めは若年寄支配、66年(慶応2)海軍総裁設置以後はその支配下にあった。役高は2000石(のち3000石)、初代永井尚志(なおゆき)(「なおむね」とも読む)が外国奉行より任じられ、以後延べ15名(再任を含む)が任命されており、そのなかには水野忠徳(ただのり)・井上清直(きよなお)、木村喜毅(よしたけ)(芥舟(かいしゅう))、勝義邦(よしくに)(海舟)、小栗忠順(おぐりただまさ)らの名をみいだすことができる。

田中 彰]

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百科事典マイペディア 「軍艦奉行」の意味・わかりやすい解説

軍艦奉行【ぐんかんぶぎょう】

江戸幕府の役職。1859年に設置され,幕府海軍を統轄し,軍艦操練所管掌。のち軍艦奉行並も置かれた。初代は長崎海軍伝習所を管理していた永井尚志(なおむね)が就任。場所高2000石,のち3000石,席次は外国奉行の次。初め若年寄,のち老中支配。幕府の軍制改革後は軍艦奉行の上に海軍奉行海軍総裁を置いた。
→関連項目勝海舟陸軍総裁

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改訂新版 世界大百科事典 「軍艦奉行」の意味・わかりやすい解説

軍艦奉行 (ぐんかんぶぎょう)

江戸末期,幕府海軍最初の専任長官。1859年(安政6)2月,場所高2000石,諸大夫場として設けられ,初代永井尚志(なおむね)以来16名が就任した。同年9月設置の軍艦奉行並(高1000石,布衣場。初代木村喜毅)とともに,軍艦操練所を管理し,61年(文久1)7月の軍艦頭取(船将)と軍艦組(士官)の新設後はその統督も任とした。67年(慶応3)1月に3000石場に昇格した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「軍艦奉行」の意味・わかりやすい解説

軍艦奉行
ぐんかんぶぎょう

幕末における江戸幕府の職名。安政6 (1859) 年2月に設置された。海防の目的で軍艦の製造,操練を司る職務で,初め若年寄,のち老中支配,慶応2 (66) 年には海軍総裁の配下に立った。初代奉行永井尚志以来,勝義邦 (海舟) ,小栗忠順ら要人が歴任している。

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