朝日日本歴史人物事典 「小栗宗継」の解説
小栗宗継
室町中期の画家。小栗宗湛の子。小栗は俗姓,宗継は出家後の法諱。相国寺蔭凉軒主亀泉集証と密接な交渉があったことが『蔭凉軒日録』により知られる。長享2(1488)年,堺において還俗し,以後月船(坊),北坊(喜多坊)の名で史料に登場する。僧俗の間を行き来する特異な在り方が注目される。画作の記録はかなり多く,『蔭凉軒日録』には13例を数え,四宮宅,御影間,養徳院(以上1490),松泉軒(1491),武藤寮(1492)などの障壁画制作に多忙であった。このうち,養徳院襖絵は父宗湛が描きかけていたものを補作したもので,「芦雁図」「琴棋書画図」「山水図」(すべて京都国立博物館蔵)が現存する。後世かなり改変されているが,小栗派の唯一の確証ある作品として貴重である。このほか,近年の研究によれば,「遮莫」「方外」の落款,印章を伴う作品は宗継筆である可能性が高い。なお『蔭凉軒日録』には,宗継が薬剤を調合し,診療をしたともある。<参考文献>今泉淑夫「落堕」(『ことばの文化史』中世4),蔭木英雄「画僧月船宗継とその周辺」(『相愛大学研究論集』1巻)
(山下裕二)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報