朝日日本歴史人物事典 「小橋三四子」の解説
小橋三四子
生年:明治16.7.23(1883)
明治大正期のジャーナリスト。静岡県生まれ。小橋光次郎の次女。日本女子大学校国文学部卒。同校同窓会誌『家庭週報』『家庭』,日本YWCA機関誌『明治の女子』,海老名弾正主宰の新人社『新女界』の編集責任者を経て,大正3(1914)年,日本で最初に女性のために1ページ全面を割いた『読売新聞よみうり婦人付録』の編集主任となる。退社して同4年,独力で『婦人週報』を編集発行し,キリスト教色の濃い評論を書いた。新聞学研究のため渡米,産児制限運動のサンガー夫人との会見記を『日米時報』に書く。欧州視察後帰国,主婦の友社文化事業部主任として迎えられ講演活動などを行った。心臓病で急死。40歳。<参考文献>近代女性文化史研究会編『婦人雑誌の夜明け』
(中村幸)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報