朝日日本歴史人物事典 「小泉信吉」の解説
小泉信吉
生年:嘉永2.2.3(1849.2.25)
明治時代の実業家。福沢諭吉系財界人。紀州(和歌山)藩士小泉文庫の子。和歌山生まれ。慶応2(1866)年,藩命で慶応義塾に学んだ。維新後は大学南校等の教師であったが,明治7(1874)~11年,中上川彦次郎と共にロンドンに留学した。帰国後大蔵省に勤務したが,13年に福沢とその門下生が中心となって横浜正金銀行を設立した際,副頭取に就任,他方,福沢門下生と共に明治生命,交詢社などの創立に当たった。いったん正金銀行を辞任し,大蔵省に復帰したのち,20年慶応義塾総長に招かれ,2年後塾長に選任されたが,塾内の不一致から辞職した。日本銀行を経て,25年横浜正金銀行支配人に返り咲くが,約2年で死去した。葬儀に当たり師の福沢が「涙を払て弔文を誌」したという。長男信三は経済学者として名高く,昭和8(1933)年以来約13年間,慶応義塾塾長を務めた。<参考文献>『慶応義塾百年史付録』
(森川英正)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報